ぼくが競馬を観始める前の競馬について書くという試み 〜90年代編〜 第2回

1991年のG1レースの構成

1991年当時の番組編成は、いまと比べると簡潔でわかりやすいです。注意したいのは、安田記念の施行時期がオークスより前だったこと、宝塚記念が6月上旬に施行されていたこと、天皇賞秋の次週に菊花賞が組まれていたこと(これはエリザベス女王杯が世代限定戦だったから)です。

また90年に格上げしたスプリンターズステークス有馬記念の前週に施行されていました。僕が競馬を習慣的に観始めた2002年には、もう施行時期が9月の中山開催のオーラスに移動していました(ただしぼくが初めて観たスプリンターズステークスは新潟での代替開催でした)。もしかしたら、スプリンターズステークス有馬記念の前週に行われていたと聞くと、若い競馬ファンのかたは驚かれるかもしれません。

 

阪神3歳牝馬ステークスができたことの意味

そしてこの年から、新しいG1が創設されました。阪神3歳牝馬ステークス(現阪神ジュベナイルフィリーズ)です。前年まで、関西の旧3歳馬最強決定戦という位置づけだった阪神3歳ステークスが廃止になり、牝馬限定の旧3歳G1が生まれました。

つまりこれは、90年までのふたつの旧3歳G1(もちろん朝日杯3歳ステークス阪神3歳ステークス)の「たたずまい」が、翌年のダービーまでつながる「東西対決路線」を予期していた、言い換えるならば、「東西別々で馬を育て、東西別々で前哨戦を使い、皐月賞とダービーで激突する」というシナリオを阪神3歳ステークス末期まで競馬会が描いていた、ということです。

阪神の旧3歳G1が牝馬限定戦に生まれ変わることによって、ふたつの旧3歳G1の「たたずまい」が、「東西対決のシナリオの伏線」から、「牡馬クラシック路線と牝馬クラシック路線の棲み分けの総仕上げ」に変わった。

簡潔に説明するならば、旧3歳G1が、所属によって棲み分けられていたのが、91年に阪神3歳牝馬ステークスができたことで、性別によって棲み分けられるようになった、そういうことです。

 

2014年から、阪神ジュベナイルフィリーズ朝日杯フューチュリティステークスが、両方とも阪神開催になりました。翌々年には牝馬ミスエルテが朝日杯に出走し、1番人気を裏切りました。2歳G1が両方とも阪神芝外回り1600メートルになったことで、有力牝馬が朝日杯に挑戦するというケースがこれから増えるような気がいたします。