ぼくが競馬を観始める前の競馬について書くという試み 〜90年代編〜 第8回
なんと桜花賞におけるイソノルーブルの落鉄はウィキペディアに記事があります。この記事によるとイソノルーブルがレース中に蹄鉄をつけなかったのは右前脚だけです。しかしながらこの記述は確定ではございません。なぜならぼくの記述が『競馬事件簿』という本の「孫引き」になってしまうからです。しかしこのブログは論文ではありません。たぶん、右前脚だったんでしょう、裸足だったのは。
イソノルーブルは5戦5勝でしたが単勝は2.8倍もついていました(ソース:JRA-VAN)。ノーザンドライバーが2番人気、スカーレットブーケが3番人気、ミルフォードスルーは5番人気で、3戦3勝(ただし重賞勝ちなし)のシスタートウショウが4番人気、とは言っても5.3倍で、ノーザンドライバーやスカーレットブーケと支持率は大して変わりませんでした。
第51回桜花賞(※京都)
まず、かなりばらついたスタート……なのですが、公式映像*1の実況では、「揃いました綺麗なスタートを切りました」と実況されています。藤田直樹アナウンサー(ラジオたんぱ)にしては珍しいミス実況です。
それはいいとして、イソノルーブルより内の枠だったトーワディステニーがハナ、外からテイエムリズムにも被されるかたちになったイソノルーブルは行けず。絶好のスタートを切ったノーザンドライバーが外の4番手。
インの7番手にスカーレットブーケ、中団の外を通ってシスタートウショウ、ミルフォードスルーは後方でした。
3コーナー
テイエムリズムが垂れて、イソノルーブルがトーワディステニーの外に直付けになります。ノーザンドライバーが外の3番手、するとシスタートウショウがノーザンドライバーの半馬身後ろまで来ているではありませんか。向こう流しでは中団待機だったはずのシスタートウショウが。
4コーナー
スカーレットブーケがインベタ、トーワディスティニーは力尽き、イソノルーブルが先頭に立った、と思いきや、シスタートウショウが大外からノーザンドライバーをマクってイソノルーブルに襲いかかります。
直線
スカーレットブーケが内から外に切り替えて追い込み。すると柴田善臣鞍上の道中はスカーレットブーケとほぼ同じポジションにいた13番人気(単勝100倍)のヤマノカサブランカが、スカーレットブーケ(武豊)が外に持ち出したことでポッカリ開いたインコースに入り込みます。
直線入り口の時点でもう先頭はシスタートウショウ、イソノルーブルは誰がどう観ても手応えがなく、2番手だったノーザンドライバー(鞍上は故・岡潤一郎)を内ラチ沿いから追い詰めるヤマノカサブランカ。
今度はノーザンドライバーがヤマノカサブランカを締め込んで内ラチ沿いを通って2着を死守しようとしますが、逆にノーザンドライバーの外に併せるかたちになったヤマノカサブランカが、あと100mで2番手に浮上。
シスタートウショウが無敗で桜花賞制覇、ヤマヒサエオリアとヤマノカサブランカが同居していた6枠はまったく人気がなく、枠連6-7は220倍をこえていたのでした。
なおWikipediaの「第51回桜花賞」(2018年4月25日閲覧)という記事には、
連勝複式は1-4で22,630円と言う当時としては超大穴馬券で、また当時の八大競走の高額配当新記録となり、大波乱となった
(下線・太字は引用者)
と書かれていますが、JRA公式にもはっきり記載されている通り、枠連の当たり目は6-7であり、1-4で決まったというのは真っ赤なウソです。
ひとつ付け加えると、「枠連」ということばを使いましたが、馬番連勝複式導入以前はほんとうは枠連という呼称はなく、単に「連勝複式」と云っていました。この点だけはWikipediaの「連勝複式」という表記のほうがより正確です。ちなみに連勝複式のまえは連勝単式でした。