【私の履歴書】ウインブライト(2)

皐月賞・ダービーで味わった屈辱 

あらわになるレースグレードの壁 

 スプリングステークスを勝つことができたので、皐月賞そして日本ダービーに、駒を進められるのが確実になって、厩舎の同僚馬たちが、祝いの席を設けてくれた。

 だが、皐月賞とダービーは、とてつもなく険しい壁になって、ぼくの行く手を阻んだ。皐月賞こそ8着、かろうじての入賞だったが、ダービーでは15着と着順を落とした。

 そして、ダービーでもがき、大負けしたときから、「G1とG2のあいだに横たわる壁というものを、意識せざるを得なくなっていった。

 

速い馬・早い馬に負けた皐月賞

 ぼくは皐月賞を1.58.3で走った。しかしアルアインの勝ちタイムは1.57.8だった。「皐月賞はもっとも 速い/早い 馬が勝つ」、使い古された格言、『死語だ』というひとも多いかも知れないが、1分58秒を3歳春の時点で切ってみせたアルアインペルシアンナイト・ダンビュライトの皐月賞上位3頭には、スピードの速さでも仕上がりの早さでも、及ばない面が明確にあった。

 

レイデオロへの「やっかみ」  

 皐月賞に出走した関東馬6頭のなかで、ぼくの8着という着順は、二番目に良かった。しかし関東馬最先着のレイデオロ(5着)は、前年に3戦無敗でホープフルステークスを勝っており、しかも皐月賞までステップレースを使わず、ホープフルからのぶっつけ本番だったのだ。ダービーがいわゆる「メイチ」、ダービーに向かい調子を上げてくるのは明白で、これほどキャロットファームの勝負服が憎らしく思えたことはなかった。

 日本ダービー、年明け4戦目・キャリア8戦目のぼくは、年明け2戦目・キャリア5戦目のレイデオロに1秒5も差をつけられ、ダービーを勝たれた。