【私の履歴書】ウインブライト(1)

 5歳になった。

 おじさんのアドマイヤコジーン、そして母さんのサマーエタニティから受け継いだ、

 芦毛

 

 ぼくを観ているひとに、ぼくの芦毛は、いま、どう観えているのだろう?

 

 

若葉のころ

 

デビュー2連敗

 じつはぼくは、新馬戦では1番人気だった。

 そして、人気を裏切って6着だった。

 2016年6月の東京開催だった。

 

 1ヶ月後、未勝利から脱出するために、福島に転戦した。

 いわゆる夏競馬ってやつだ。

 でもそこでも5着、掲示板に載るのが精一杯で煮え切らなかった。

 

血統的自覚

 ぼくの親父がステイゴールドであることを、ぼくは早くから自覚していた。

 だから、2歳時の6月・7月の敗北を、悲観的には受け止めなかった。

 俗な見かたではあるが、

ステイゴールドの子どもは晩成型である」

 というイメージを、産駒であるぼく自体が抱いていたのだから。

 

 暮れなずむ11月の府中。

 4番人気の低評価に反発して、ぼくは芝1800の未勝利戦を勝ち上がった。

 ほら、成長してるじゃないか。

 

好敵手・アウトライアーズ

 ひいらぎ賞で、アウトライアーズに負けた。

 そのときアウトライアーズは単勝1.6倍、支持率はちょうど50%。

 将来を嘱望されていた関東馬は、アウトライアーズのほうで、

 ぼくが初めてライバル意識を抱いた男は、じつはアウトライアーズだったのだ。

 

 ぼくにしても、「500万下は通過点」とマスコミには思われていたようだ。

 明け3歳、若竹賞のときの競馬新聞を読み返していて、そう感じる。

 

 そしてぼくとアウトライアーズは再び相まみえた。

 そう、スプリングステークスだ!

 

 

スプリングステークスで重賞初制覇

 

相手が強くなったスプリングステークス

 1番人気はサトノアレス。

 朝日杯FSで、『天才少女』と呼ばれていたミスエルテを打ち負かし、彼女のメンタルを折った。

 

 2番人気がアウトライアーズだった。

 

 以下人気はトリコロールブルー、モンドキャンノと続く。

 いずれも関西馬

 ぼくは5番人気で、おなじステイゴールド産駒でも、トリコロールブルーのほうが人気があった。

(あの生産者、あの勝負服、あの鞍上だもんな)

 

 ぼくがスプリングステークスに勝つためには、アウトライアーズに逆襲するだけでなく、G1馬のサトノアレスや、トリコロールブルーをはじめとする関西馬を乗り越えなければならなかったのだ。

 

返し馬で感じたこと

 ただ、返し馬で馬場に入ったとき、3戦連続の中山だったのだが、不思議とぼくは落ち着いていた。

 そして、落ち着きつつも、どこか「昂(たか)ぶるもの」を感じていた。

 人生初の重賞挑戦だったが、気負いはなかった。

 

「またアウトライアーズに負けたのか」と一瞬思った

 レースは激しいものになった。

 接戦で、ゴール手前、ぼくの内側(ふところ)にアウトライアーズが食い込んできているのが見えた。

 また、やられたかーー。

 そう思った刹那、掲示板のいちばん上にぼくの馬番「10」が点灯していることを、

 鞍上の松岡さんが、教えてくれた。