ぼくの知らない名馬伝「サクラバクシンオー」~マイルへの憧憬~

重賞の クリスタルカップを勝ったあとで オープン特別の菖蒲ステークス 府中の千四に参戦して 勝てた 1200メートル以外のレースでも 勝つことができたのだ

さぁ ダービーなど眼中にない かといってNHKマイルカップなんて この時代にはないし バクシンオーの目標は NZT4歳S 当時は 府中の1600メートルで施行されていた 

NZT4歳は 1988年にオグリキャップが出走して大楽勝したように なんらかの事情で クラシック路線に乗ることのできない馬にとって しばしば G2ではあったけれども そうまさに のちのNHKマイルカップのように 「春の一大レース」として とらえられていた バクシンオーの2年後の1994年 マル外牝馬ヒシアマゾンが参戦して 勝っている――そういうレースだった

 

ただ バクシンオーには この馬には 1600メートルですら 「長すぎた」

1番人気は稀代の過剰人気馬セクレタリアト産駒の外国産馬ヒシマサルで 単勝支持率50%近く 2番人気が菖蒲ステークスでサクラバクシンオーに負けているはずのエーピージェット単勝オッズ3.7倍 バクシンオーは 前走でエーピージェットに勝っているのに 7.4倍の3番人気という評価に甘んじる もう当時のファンも いろいろと察していたのかもしれない

そして 案の定 バクシンオーはケチのつけようのない大敗 勝ったのは ヒシマサル というのは嘘で 4番人気のシンコウラブリイだった シンコウラブリイも もちろん現役時代は知らないが マイル戦がベストのG1馬という認識 府中マイルというこの舞台で ダントツ人気のヒシマサルを負かし バクシンオーを相手にしなかったのも うなずける

 

夏を休んで またマイルを使う 長めの距離に固執しているようにも思える シンコウラブリイの調教師がかつて言っていたとされる 「すべての馬は本質的にマイラー」という出所不明の「思想表明」じゃないけど やはり1992年 高松宮杯はまだ2000メートルのG2時代 スプリンターズステークスを勝つだけでは物足りないし 1984年のグレード制導入と同時に 安田記念がG1化 『マイルチャンピオンシップ』なる新設競走がいきなりG1としてお目見えしたり マイルのG2以上のレースを勝っておきたかったのも 時の宿命がさせたことなのだろう

で 京杯オータムハンデ 中山芝1600のハンデ戦という条件は いまと変わらない ハンデ戦G3ゆえか 1番人気のハギノスイセイでも3.6倍と 割れていた 岡部騎乗のビーバップが5.0倍で2番人気 バクシンオーは斤量54キロで6.9倍の3番人気

さきほど 「もう当時のファンも いろいろと(適性を)察していたのかもしれない」から NZT4歳でエーピージェットより人気しなかったのかな? と書いたけれども 古馬に混じったこの京王杯AHでも ファンの評価はそんなに変化していない 前走・NZT4歳で 3番人気7着だった馬が 初の古馬重賞で また3番人気になる

そしてバクシンオーは健闘した 伏兵トシグリーンと 1番人気・ハギノスイセイには先着されたものの 3着 しかも勝ったトシグリーンとは 着差が0.2秒しかなかった

マイル以上の距離での限界が露出していたバクシンオーが この京王杯AHで ここまで人気していたのは 正直理由がわからないが マイルの重賞で好走した この事実が 境勝太郎小島太をポジティブにさせてしまったはずで 次のOP特別もマイル戦 府中の多摩川ステークス 勝つ手応えを調教師と騎手は感じていたはずだが 落とし穴が待っていた