ぼくの知らない名馬伝「サクラバクシンオー」 ~適性という詐術・ブルジョワ気質・距離短縮の美学~

 

www.jbis.or.jp

 

もし サクラバクシンオーの距離適性について 「とくに1400以下では【無敵】だった」とほざいてるやつがいたとしたら そいつは当時の中央競馬をリアルタイムで観ていないか そもそも「名馬を語る」という営みに不向きなのだ

 

サクラバクシンオーは ダートだった新馬戦勝ちを含め 1400メートル以下で12戦11勝 ただ一度負けたレースが問題で 旧4歳の下半期 キャピタルSを快勝して はじめてのぞんだ 1992年スプリンターズステークス この馬は3番人気に押されるも 6着に敗れているのだ

 

しかしまた 6着とは 気持ちの良い惨敗っぷりである サクラバクシンオーが 1200メートルのレースで負けたことがあって しかも6着 3着以内どころか 掲示板にも表示されなかった この92年スプリンターズステークスは ニシノフラワーヤマニンゼファーで決まった あとから見れば 強い馬のワンツーで 妥当な結論がくだされたような感じだ 強い馬ワンツーで1650円という 馬連配当は なんとも微妙な気がするが まぁ要するに 得意分野でも 初めてのG1挑戦 あのサクラバクシンオーでも 絶対といってもいい得意条件で 「格負け」する この事実 前走のキャピタルSは OP特別 競馬は「格」「クラス」がすべてだとは 言えない だけれどもしかし 相手強化で 92年スプリンターズSのバクシンオーは 圧巻の負けっぷりである

 

 

さて サクラバクシンオーについて 個人的に言いたいことは あらかた書き終わってしまった が この馬は 種牡馬としても息が長く 成功をおさめた この記事では 小島太が最後の愛のムチをふるうまでしか 書ききれないように思う

 

サクラバクシンオーは 1989年4月に 早来の社台ファームで生まれた じつはれっきとした社台系の馬で しかも早来社台ファームということは これは今で言うノーザンファームだと思う 馬主・冠号と生産牧場にまどわされてはいけない

 

そうはいっても 父はサクラユタカオー 母もサクラハゴロモ ということで ちゃんとサクラ一族 とはいっても 母母クリアアンバーは アメリカ産の輸入牝馬 母父もノーザンテーストというところに 社台の痕跡と いってみればブルジョワ色が 残る

サクラユタカオーについて軽く触れておくと この種牡馬テスコボーイ産駒で 現役時代は 86年の天皇賞・秋を勝った 走ったレースが少ないので 競走馬としては 「印象」という意味では ワンパンチ欠ける馬だったかもしれない 2000メートル前後に良積が多く たいがいは中距離馬として振り返られる馬で しかしその中距離馬ユタカオーから ロードカナロアが出るまでJRA史上最強短距離馬と言われていた バクシンオーが輩出されるのである 血統の取り扱いはときに危険をはらむ

 

境勝太郎 新馬はダートでおろした とはいっても中山ダート1200メートル ところでダート短距離の新馬って 今のJRAではあまり注目されてないような気がする どうしても 今ごろであれば 東京・京都・阪神の 芝のマイル以上の 良血馬が出てくる新馬戦に みんな ぼくも含めて 目が行ってしまうのだが かつて どのあたりまでだろうか 20世紀末期までは 最強クラスの競走馬がダートでデビューしたり ダート路線で下積み時代を過ごした そんな例が目立った ような印象が ある

 

そしていきなり次走のマイル戦(黒竹賞)で負ける といっても2着だが そして距離短縮した次走の1200m戦であっさり勝つ 3月の桜草特別だ そして距離を3ハロンも延長したスプリングステークスで 穴人気だったのに ムキムキマンミホノブルボンに大差で負ける(12着) それでクリスタルカップに登録して 俺の庭だ3ハロン距離短縮だ1200だ~ と 重賞初勝利を飾るのである

ここまでデビューしてから5戦 中山でしか走っていない