ぼくが競馬を観始める前の競馬について書くという試み 〜90年代編〜 第1回

はじめに

オグリキャップが引退した直後(1991年)から、テイエムオペラオーが引退するまで(2001年)を書こうと思います。

これはいちばん重要なことなのですが、ぼくは1988年生まれ、↑の期間の競馬を、リアルタイムで観たわけではありません。最初に自分の意志で観たレースは、テレグノシスが勝ったNHKマイルカップ(2002年)だと思います。

 

ぼくと同年代か幾分年少の知り合いには、「98年クラシック世代」から競馬を観始めた人間が存外多いのです。彼らはサイレンススズカステイゴールドについて雄弁にしゃべります。ぼくは、テイエムオペラオーステイゴールドの現役時代をほとんど知らない雑魚です。

 

ただ、当時を知らないから、見えてくるものも、あるのではないかと思うのです。

 

オグリキャップの余波

ひとまず1991年から書いていくことにします。なぜ91年かというと、オグリキャップが引退したからです。

有馬記念をラストランに選ぶ名馬の陣営は多いです。よって、特定の馬の引退レースとなる有馬記念が、時代の継ぎ目となることが多いとぼくは考えています。オグリキャップの場合なんかまさにそうです。しかもオグリキャップは日本競馬史におけるオールタイムベストレースの最有力候補である有馬記念で有終の美を飾ったのです。オグリキャップ=競馬ブームという等式はあながち間違っていません。

オグリキャップが抜けた穴をどう埋めるか、胴元である競馬会にとっては特に懸案事項ではなかったか、と推測します。もっとも、あれだけ競馬場に人が入ったのだから、向こう10年は左うちわだ、と思っていたのかもしれません。

それに、オグリキャップが引退してすぐ、メジロマックイーントウカイテイオーという、説明不要のスーパーホースが登場しました。明らかに日本競馬にとっての追い風が吹いています。とくにメジロマックイーン芦毛だったので、これは使い古されたフレーズですが、「芦毛伝説第二章」という触れ込みで、ファンの耳目も集めたのでしょう。

亀和田武さんは、自著で「田原成貴が引退してから中央競馬の売り上げが落ちた」と指摘しています。もっとも田原が引退したのは90年代の終盤であり、90年代初頭は、中央開催ともなると、毎週がお祭り騒ぎのような状態で、空前の競馬人気だったということは、妥当性があると思います。

 

競馬の負の部分もファンは見せつけられた91年

91年競馬の話を少しだけします。

必ずしも、ポジティブな話題だけではありませんでした。天皇賞秋で、メジロマックイーンが1着入線も斜行で最下位に降着有馬記念では、ダイユウサクが一世一代のパフォーマンスでメジロマックイーンを倒す。

メジロマックイーンは、芦毛であり、鞍上が武豊でした。

 

↑のふたつのケースを目の当たりにしたビギナー競馬ファンは、困惑してしまったのではないでしょうか。他にも、有馬記念の前週のスプリンターズステークスで有力馬のケイエスミラクルが直線で故障発生し安楽死。競馬の「負」の部分も、若いファンは見せられる羽目になったんだな、と思います。

 

ともかく、91年は、3歳(旧4歳)にトウカイテイオーがいて、古馬の代表格にメジロマックイーンがいたので、この2頭を軸にトウカイテイオーが復活した有馬記念(引退レースではありません)を区切りとして語っていくのが無難かなあと思っております。