競馬観戦にはうってつけの環境

今週のお題「休日の過ごし方」

 

 東京生活の後期以来、休日と休日でない日の境界があいまいになっている。

 いや、そもそも大学というものが休日の概念を曖昧にしているのであって、たとえば東京生活の前半ーー大学に「一応」通っていたころーー土曜日の夕方に講義を受けていたこともあった。そういえば、土曜の午前に必修科目があったと思う。その代わり、平日に休みの日が必ずできる。その代償として、大学生の生活リズムは乱れていく。

 

 日曜日はかならず休校日だった。

 最初ぼくは東中野駅ないし中野駅に徒歩で無理なく行ける距離のところに住んでいた。中央線で西国分寺から武蔵野線に乗り換え、府中本町で下車すればそこはもう「競馬場の街」である。

 東中野・中野に加え、地下鉄東西線落合駅も徒歩圏内だった(考えてみれば贅沢な話だ)。東西線西船橋まで行き、武蔵野線に乗り換え、船橋法典で下車すればそこから『ナッキーモール』という競馬場直結歩道が伸びている。

 また、東中野から総武緩行線(黄色い電車)を使えば、水道橋まで一本で行ける。つまり、ウインズ後楽園にすぐに行くことができてしまう。

 

 このように、東京生活の最初の2年間は、

 ふたつのJRAの競馬場プラス日本で最大の売上を誇っていた場外馬券売り場に容易にアクセスできる環境にあった。

 府中、中山、後楽園に通い始めるのは時間の問題であった。記憶の片隅にあって曖昧なものだが、たぶんウインズ後楽園→中山競馬場東京競馬場の順に足を踏み入れたのだと思う。

 

 ウインズ後楽園。

 郊外型のウインズしか知らなかったぼくにとって、そのウインズはカルチャーショックだった。完全に馬券を買うことに特化した都市型ウインズの権化のようなビルだった。とにかくゆとりがない。映像ホールもない。展望ラウンジもない。広々としたPRコーナーもない(もっとも、ぼくの地元のウインズはその広々としたPRコーナーを取り潰してしまった)。

 椅子の絶対数が少ない。ゆえに滞留する人のほうが少ない。ウインズ後楽園に行った人ならお分かりの通り、あのウインズは東京ドームに隣接している。あまつさえ東京ドームの周辺にいくつもの娯楽施設が乱立している。後楽園/水道橋という街自体が、神保町や秋葉原といった『文化の街』に程近い。ウインズ後楽園は長く滞留する施設ではなかったのだ。

 ウインズ後楽園で初めて観たG1レースは、ダイワスカーレットが勝った桜花賞だった。当時は6階に大型の映像モニターがあり、そのフロアで馬券を買うこともできた。関西のG1や、現場に行くまでもない小規模なG1(例:NHKマイルカップヴィクトリアマイルなど)は主にそのフロアで観ていた。

 しかしながら、この10年でウインズ後楽園はどんどん規模を縮小していき、6階の大型映像フロア自体が取り潰しになってしまった。

 

 ところで、「あなたは最初に上京したとき未成年だったはずだが、競馬法に背いて馬券を買っていたのか?」と問われたとする。

「はい、買っていました」というのがぼくの答えである。この競馬法違反が、もう時効であるのかどうかはわからない。ただ座間市の事件のような凶悪犯罪でもあるまいし、「もう時効でしょう」と弁明するのが自然だと思うのだが。

 ダイワスカーレットが勝った桜花賞と、ヴィクトリーが勝った皐月賞(これが、上京してから初めて現地で観たG1競走ということになる)のときは、馬券を買うのを自重していた。

 初めて買った馬券は、ウオッカが勝った東京優駿の馬券だ。

 

 当然、フサイチホウオーが勝つと信じて疑わなかった。フサイチホウオータスカータソルテ(15→1)の馬単を買い、桜花賞で負けたウオッカなどダービーで勝負になるわけがないと思っていた。

 そしたら、ウオッカが勝ってしまい、2着アサクサキングスフサイチホウオーは馬券の対象から外れ大敗、タスカータソルテも惨敗してしまった。ダービー史上に残る波乱であった。このとき得た教訓が、「買うと当たらない、買わないと当たる」ということである。そんなこと言ったって、買わなきゃ当たらないのだから、わかっていてもやめられないのが真理というものであろう。

 このときのウオッカは、祝福されるよりもむしろ、多くのロマン派でない一般の馬券ファンに、『空気を読めない』と白眼視される存在であったと思う。

 ウオッカは、11回東京競馬場で走っている。国内22戦なので、日本では2回に1回東京競馬場で走った計算になる。とくに2008年のヴィクトリアマイル(2着)以降は、ドバイへの海外遠征以外は東京競馬場でしか走っていない。東京競馬場で大レースがあると、毎度のごとくウオッカが出ている。そんな状態が2009年のジャパンカップまで続いた。